気まぐれ日記 2024年1月

2023年12月はここ

1月1日(月)「何も元日に起こらなくても・・・の風さん」
 喪中なので、年賀状は出していない。玄関先にしめ飾りを、といったこともしない。
 昼近くまで寝ていて、十分疲労をとったつもりで起き出した。昨年末までにやり残したことがたくさんあって、今日も少しでも片付けなければと気が重い。
 食事の献立と考えれば、雑煮は喪中で控える料理にはならないそうで、パン中心のブランチの中で、まるでデザートのように雑煮が出てきた(笑)。亡き母の手料理を継いでくれ、今では長女の大好物になっているオリジナル雑煮が食べられてラッキーだった。
 年末や月初ルーチンの続きで、カレンダーの総入れ替えと、消臭ビーズの補充(屋内6か所に設置してある)をおこなった。ガス台とレンジフードの掃除は、三が日が開けてからにする。
 ルーチンを終えて、英会話の勉強を始めようとしているときだった。スマホがキュッキュッと鳴り出した。地震通知である。まもなく、揺れ出した。2階の書斎にいたので、1階よりは揺れが大きいが、震度3くらいかな、と思っているうち、また揺れ出した。これ以上大きくなりそうもなかったが、とりあえず本箱を手でおさえていた。
 PCの画面に能登半島での地震発生が出現した。ここ数年来よく起きる地域だが、何も元日に・・・と思っているうちに、震度7と表示されて息がつまった。震災レベルである。
 70年も生きていると、何度も地震を体験する。新潟地震、宮城県沖地震、東日本大震災は忘れられない。
 地震がおさまってから、2階と1階を見て回り、被害がなかったことを確認した。
 午後4時過ぎからは、ネットとテレビの地震速報を頻繁にチェックすることになった。しかし、どんどん日が暮れていく中で、現地の情報は乏しかった。リアルにマスコミなどが現地へ入れないのである。
 地震だけでなく津波の恐れも高かった。ところが、現地の津波データが不足していた。担当者が目視で確認に行けないのは分かるが、機器が壊れたのか、停電なのか、よく分からない。それでもテレビのアナウンサーの「すぐ逃げてください!」という絶叫に近い話し方に好感が持てた。東日本大震災のような悲劇は二度と起こしてはいけないのだ。
 輪島市では火災まで発生したが、消火作業が始まったように見えない。倒壊した建物にとじこめられた人を救出するなど、けが人の搬送で、消防隊員は大変な状況だと想像されるが、情報は乏しかった。
 午後11時過ぎになって、誤報まで出すなど、気象庁も混乱していたようだ。
 戦争勃発が危惧される年明けだったが、異常気象、天変地異は今年も避けられないのか。

1月2日(火)「何も続けて起こらなくても・・・の風さん」
 正月2日としてはやや早めの9時起床。別に初売りに行こうというのではない。仕事が遅れに遅れている。
 昨日準備した郵便物を持って、歩いて投函してきたあと、門柱から落下したタイルの修理にとりかかった。長方形のタイルは、3つになっていたので、コンクリート用接着剤で接合を試みた。固まったら、そのまま落ちた部位に同じ接着剤でくっつける。
 裏の土地の地面にさしてあるソーラーライト(暗くなると点灯する)は安物なので、寿命は短い。新品を2個買ってあった。標準では500mAhのニッケル水素電池が入っているが、それを900mAhと交換してから設置する。そのための準備をした。
 昨年、もう1か月近い前に秋田の知人から和算に関する本を送ってもらっていた。未見の本だったので、コピーをとってから返却するつもりで、なかなかそれができないでいた。とうとう新年が明けてしまったので、返却の準備をすることにした。まず、スキャナーで読み込んでデータ化したが、それで終わりではない。知人へ送るための参考資料のコピーを作った。CDもこしらえた。当然お礼の拙著も用意した。それらをレターパックに入れ終わるまで、それなりの時間がかかった。
 昨日の地震速報から24時間が経過した。地上からの救援は道路事情が悪く、困難らしい。
 日が暮れる前に、屋外へ出て、接合が完了したタイルを門柱の落下部分に貼り付けた。そのままでは重力でずり落ちるので、隙間に厚紙を充填して固定した。念のため、ガムテープで上からも押さえた。続けて、スタンバイ完了したソーラーライトを2個、裏の土地に設置した。これで裏の土地の外周部が明確になる。何せ道路までは法面つまり斜面なので、クルマの駐車操作を誤ると、道路に滑り落ちてしまう。
 すっかり暗くなったころ、国内で大きな事故が起きた。羽田空港で着陸したJAL機と能登半島へ支援物資を輸送しようとして滑走路に入った海保機が衝突したのだ。海保機は粉砕され、JAL機は炎を上げて疾走した。
 こんな悲惨なこと、何も二日続けて起きなくてもいいではないか。

1月3日(水)「小春日和なのだが・・・の風さん」
 昨夜、長女を名古屋まで送り、静かな朝が来た・・・はずだったが、そうではない。会社現役時代に戻ったような幻想にとらわれることが今でもたまにあるが、起床前に仕事に追われている精神状態になった。現実でも仕事が遅れに遅れているので、これは幻想ではなく現実と言ってもよいのだが、朦朧とした意識の中で抱えている課題はどうも現実のものとは違う。非現実的な状況で、今から起きてわずか2時間後に講演をしなければならないのに、講演スライドがまったくできていないというもの(笑)。
 そんな妙な状態で、とにかく起床し、朝の始動に取り掛かった。その間に、サラちゃんが寝室にやって来て、お気に入りの場所で窓から外を眺めていた。
 昨日準備したレターパックを歩いて投函に行った。穏やかな陽気で、まさに小春日和。自然災害や戦争が今でも人々を苦しめているのだが、自分(pensioner 年金生活者)はこんなのんきな生活を送っている。せめて小さくても他人に迷惑をかけないようにしなくては・・・。
 帰宅したらサラちゃんが2階の寝室の窓からまだ外を眺めていた。私にも気付いたようだ。
 屋外タンクに灯油を補充しておいた。この屋外タンクの容量は90Lである。たまに巡回の灯油売りが来る。値段も安いので、そのうち試しに購入してみようと思う。
 昼食に北海道のラーメンを食べた。麺もスープも絶品だった。あらゆるラーメンの中で北海道のラーメン、特に札幌ラーメンが一番好きかも。平和(愚か)なやつだ自分は!
 発音専門の勉強用テキストが、ついにヤマ場をこえた。あと少しで終えられる。そろそろ次のフェーズに入らねば。
 昨夜と今夜で、Amazonprimevideo「デスレース」を観終えた。もちろん字幕で観たのだが、バイオレンスもののせいもあって、まったく聞き取れない。普通、ほとんど単語が聞き取れても、イディオムや常套句が分からず、理解できないことが多いのだが、この映画に関しては、単語レベルでも何を言っているのか分からない。愕然としてしまう。

1月4日(木)「「大衆文芸」の送付準備・・・の風さん」
 英会話の発音専門勉強用テキストの大詰めは、マザーグースでリズムを体得するというもの。この練習は初めてで、やってみたら、まるでついて行けない。歌詞が目の前にあってもお手本通りに読めないし、暗唱など無理。そうか。こういうリズム感が幼少のころから見について、ネイティブはああいったしゃべり方になるのか。古希に至ってやっと知ったという愚か者だ、私は! しかし、これをまじめにトレーニングしてみようと思う。
 何となく仕事のペースが上がってきた気がしたので、昨年暮れに届いた「大衆文芸」冬の号を郵送する準備を始めた。情けない話だが、同封する名刺が切れていたので、名刺の補充印刷から始めた。今回はシートタイプでなく、1枚1枚の分離タイプの用紙を準備したので、プリンターの設定でまたとまどった。さらに、紙詰まりが2回も発生して、内部から取り除くのがけっこう大変だった。 
 その後、宛先一人一人にメッセージを作成してプリントしたので、また時間がかかった。
 何とか宛名を書き、封筒に入れ、スティック糊で封印し、差出人はシールを貼り、8通の送付準備が完了したのは、もう深夜だった。
 今日最後の仕事として難物ミッションを少しやり、明日で講演スライドがほぼ完成できそうだと思ったところで閉店。
 ペースは遅いが、かろうじて前進はしている。それでよしとするしかないか。

1月5日(金)「悪いのは私だけど・・・の風さん」
 ワイフとランチを兼ねて用事でJAへ行く途中で事件は起きた。
 アクアの前方で自転車がやや心もとない走りをしていて、車道の中央に寄って来たので、センターラインは黄色だったが、加速はせずに対向車線へはみだして走ったところ、前方からやって来るクルマがあり、私のアクアを避けるのではなく、威嚇するように向かってきた。私は特に慌てもせず、冷静にすれ違った。
 交差点で左折するとき、例の自転車がうしろからやってきたので、横断歩道の前で止まって、自転車がどうするかしばらく待った。その時、後ろのクルマがクラクションを鳴らした。自転車は横断歩道の信号が赤になったので止まり、私は左折して走り出した。
 うしろでクラクションを鳴らしたのは、さっきの対向車だったが、その時は気付かなかった。その運転手は相当に頭に来たらしく、すぐにUターンして、私のアクアを追跡してきたのだが、もう少し後になって分かったことだ。
 ランチにするつもりのレストランの駐車場に入ったら、ついて来て、ここはもうよくあるパターンで、怒鳴り込んできた。
 私は横断歩道で停止したことに文句を言っているのかと思った。クラクションを鳴らされたので。私としては、自転車が気になっていたので、慎重すぎるほど自転車との安全を確保していた。
 ところが、相手の怒りは、最初のすれ違いのことで、私が黄色のセンターラインをはみだして(このことは何度もしつこく言われたので、だいぶあとで分かったのだが、私が交通違反をした、自分に非はないという意味の主張だった)向かってきたことに腹を立てていたのだった。追い越しをかけたとき、対向車に気付かなかったので、相手の幅寄せもあってきわどいすれ違いになったのだが、これはミスではなく、テクニックで衝突は十分避けられるすれ違いだったと思っていた。
 相手は大きな怒鳴り声で色々と言っていたが、自分の進路を妨害され、衝突しそうになったと主張し、それがたとえ自転車との衝突を避けたにせよ、自転車の手前で停止するぐらいのことをして、安全を十分確認してから追い越すべきだという主張は、確かにその通りなので、納得した。
 しかし、いつまでも怒鳴りちらす様は異常で、これはよくあるパターンではないかと、人生経験の長い私は直感した。
 今回と全く同じかどうかは別にして、私の直感がそう思っただけだが、高速道路でよく起きるあおり運転だ。他には、自動車の運転とは違うが、コンビニの店員が態度が悪いと客にクレームをつけられて、土下座して謝らせる事件。この直感が、私に「安易に謝るな」と信号を出した。
 交通違反やマナーの悪い運転は日常茶飯事のことで、それでも事故が起きないように(立腹をがまんして)、多くのドライバーは走っている。
 興奮している相手は「文句があるなら警察を呼べ」と言った。交通ルールに照らしてみれば、私が悪いのは明確だから、こう言ったのだ。私は警察から説教されるのは仕方ないと思ったが、相手はたとえ私が謝っても、たとえば土下座しろとか言い出しそうだったので、それを回避するためだけでも、警察の立ち合いが必要だと思い、即承知して110番した。
 110番を受けた警察は、状況を把握するため、「乱闘になっていますか」「相手は凶器を持っていますか」と恐ろしいことを聞いてきた。私はそれらを否定した上で、「でも相手はとても怒っています」とだけ言った。
 アクアの中で待機しているワイフは、「謝ればいいのに」と言ってきたが、謝らない理由を説明するのはちょっとむずかしかった。
 間隔を置いて、パトカーが2台来た。警察官は全部で4人だ。私と相手は距離をおいて離され、一人ずつが職質に取り掛かった。私は最初から自分の非をすべて認めた。そして、相手が言っているように、自転車を追い越さずに停車するぐらいの行動をするべきだったと反省していると告げた。そして、用意してあった免許証をさっと出した。
 私のあまりの素直さに、警察官は私の予想もしなかったことを聞いてきた。「相手は、あなたが追い越した自転車にまったく気付いていなかったのではありませんか」ちょっと考えたが「それはよく分かりません」とだけ答えた。
 最後に私は、「おまわりさんが来てきつく注意されたので、私が悪かったことがよく分かった。申し訳ありません、とこれから相手に謝ります」と宣言した。警察官もうなずいてくれた。
 これですべて決着がつくと思った。
 ところが、そうではなかった。警察官に囲まれた中で、私が相手に謝罪すると、私の態度が気に入らないと言い出した。さっきまでと同じ怒鳴り声を張り上げるので、警察官は成り行きをじっと見守っている。相手は「警察官に言われるまで自分が交通ルールを破ったことが分からなかったのか(さっきまで俺が指摘していたじゃないか)。馬鹿かお前は」とか「あれでぶつかっていたら、お前が悪かったのだぞ。分かっているのか」と延々と言い続ける。挙句「謝り方が悪い。ちゃんと謝れ」と言うので、頭を下げて「申し訳ありませんでした」と言ったが「心がこもっていない。おまわりさん。こいつ全然反省してませんよ」と言い出す。もうこの時点で、警察官を呼んで良かったと思った。うっかり謝っていたら、土下座だけで済んだかどうか分からない(もっとも私は土下座なんか絶対にしないが)。
 終始どなり続けていた相手は警察官に対して印象が悪かった(と思う)。
 はっきりしない終結の仕方でその場が終わり、相手は自分のクルマを運転して駐車場から出て行った。それを見送ったあと、私は警察官から「これで終わりにして特に事件にはしませんが、何かあったらまた連絡してください」と言われた(結局私の運転に対する指導は誰からも受けなかった)ので、警察官たちの判断が何となく想像できた。私は「お忙しいのに、こんなことで来ていただいてすみません」と言ったが、それに対しても特別なコメントはなかった。
 1対1で向き合っているとき、相手が終始怒鳴り声をあげていれば、普通はビビるだろう。足が震える人もいるかもしれない。私は逆に終始冷静で、相手の顔から目を離さず、ひどい言われ方をしたときは、ひたすら沈黙を守った。心拍数が上がることもなく、まして足が震えることもなく、万が一身の危険を感じても、決して逃げ出さない、暴力をふるわれても前を向いていようと心に決めていた。死んでいくときの後悔をこれ以上増やしたくないと思っていた。

1月6日(土)「戻った日常・・・の風さん」
 ワイフは今日は実家の母を慰問に出かけた。昨年の8月に父が死んでから、マンションで一人暮らしなので、姉妹はひんぱんに実家を訪れて、母を元気づける。
 月初ルーチンで遅らせていたレンジフードの掃除をした。慣れた作業で、かなり効率も増してきた。
 昼食にインスタントラーメンを食べようとしたら、ガス台も分解して掃除し、部品を乾燥させていたので、作れないことに気が付いた(笑)。幸い炊飯器に昨夜のご飯が残っていたので、卵かけご飯を作って食べた。面倒くさいので、おかずはなし。
 昨日のトラブルの記憶はまだ鮮明だが、ボケ老人はどんどん忘れていくので、あと1日もすれば、思い出すことも少なくなるだろう。得な性質だ(笑)。
 英語の発音の練習は、マザーグースの童謡の復唱というか、CDの録音に合わせて歌うことをやっている。英語のリズム感をつかむための勉強だが、これが意外とむずかしい。日本語のクセで、あらゆる単語と音節をしっかり発音しようとしてしまう。弱勢になる部分を一気にしゃべって次の強勢につなげる。これがなかなかできない。自分でできないということは、相手がそうやって話したとき聞き取れないことを意味する。だから音読は重要なのだ。頑張らねば。
 難物ミッション(講演スライドの作成)もかなり進んだ。明日、ほぼ完成になるだろう。
 月曜から児童書の執筆に復帰したい。

1月7日(日)「厳しい冷え込み・・・の風さん」
 年が明けて7日目は「人日(じんじつ)の節句」と呼ばれ、江戸時代、武家ではこの日を重視し、将軍以下七草粥を食べる習慣があった。ちなみに拙著『鬼女』(早川書房)でも、幕末の慶応四年(一八六八)一月、会津ではこの行事をおこなうことができなかったと、さりげなく書いた記憶がある。
 この習慣が、今日「春の七草」として民間に定着している。
 春の七草の覚え方としては、短歌のリズムで言うことが最も有名だ。ちょっと前の世代なら「セナはゴッホとすず2つが好き」というのが良かったかもしれない。
 ま、それはともかく、英会話の発音の話だ。発音とくにリズムの勉強が、マザーグースの童謡の復唱になったと昨日書いたが、何と、次のページからも童謡ばかりでなく早口言葉などが、じゃんじゃん続くのだ。
 日本語の場合、春の七草の覚え方を教えられれば、数回真似しただけで、すぐに言えるようになる。「せりなずな ごびょうはこべら ほとけのざ すずなすずしろ はるのななくさ」
 ところが、日本語が頭の中に充満している状態で、英語の童謡や早口ことばを聞いても、聴き取れないだけでなく、書いてあるものを、同じリズムと速さで読み上げることさえできないのだ。
 今日、寒中見舞いを作成した。ほとんど喪中ハガキを送った相手だったが、念のため送ることにした。
 午後8時に歩いて投函に行った。寒かったが、北陸の被災地の人々は今夜から猛烈な冷え込みになると聞いている。
 晩御飯は、知人が送ってくれた鳥取の海産物から今夜はカレイの干物をワイフが焼いてくれた。カレイの干物はもしかすると人生初めてかもしれない。実に美味かった。
 難物ミッションもほぼ原案ができたので、食後も比較的落ち着いていた。ところが、スマホのチェックを忘れていて、その間に、メルカリ出品が売れたのである。せっかく焦りのない時間を過ごしていたので、すぐに発送の準備をした。小物だったのでゆうパケットポストminiである。明日は祭日で、ポストからの集荷は朝の一回だけだ。だから、寒中見舞いも出しておいたのだが。午後11時を過ぎていたが、再び、徒歩で投函に行った。風が音を立てて吹いていた。寒い。競歩のように速足で歩いて帰って来た。また北陸地方の人々のことを思った。

1月8日(月)「懸案事項が徐々に減少・・・の風さん」
 年明け早々というか、今年もまた、依然として、今日が祭日だということに直前まで気が付かなかった。34年間の完全週休二日制は身体の芯まで沁みとおっているようだ。本人は柔軟な性格と思っているが、意外とがんこなのかも(笑)。やれやれ。
 柔軟と言えば、尊敬する辻真先先生の柔軟性はすごい。92歳の現在も漫画の世界に重要な位置を占めておられる。昨年末のコミケで販売された本を、また先生が送ってくださった。長谷川伸先生のご遺志を実行されている一環で、後輩の私に対する激励である。本は、辻真先著『迷犬ルパン 異世界に還る』である。この本はフェイスブックでその存在を知っていたが、いざ受け取ってみると、オンデマンド版だろうが、重厚な作りである。次々に新作が登場するのでいつも驚かされる。いくつになっても柔軟な頭脳と感覚をお持ちなのだろう。そして、ストーリー作りの卓越した技術。長年生産技術を学び経験した私は、まるで身についていないから猛省するしかない。
 今週末から初めての経験期間に入る。眼の手術である。手術というジャンルの経験は多いし、眼だけでも、これまで3回経験しているが、やり方が異なるので、やはり初体験と言っていい。通常の生活ができなくなることを意識して、今日は、とりあえず灯油を買いに行ってきた。
 昨夜できた難物ミッション、講演スライドの原案ができたので、祭日は承知の上で、事務局へデータ便で送った。今後、事務局のアドバイスをいただきながら、リファインしていく。
 昨日で松の内が明けたので、寒中見舞いを出したように、メールで受け取った年賀状に対しても、寒中見舞い(画像添付で)を送った。
 懸案事項が減って来たので、児童書の執筆に再着手した。

1月9日(火)「ボケ老人のマイペース・・・の風さん」
 6日が小寒で寒の入りだった。月末へ向かってどんどん寒くなる。ボケ老人は気を付けないと、あっという間にあの世行きだろう。
 12日の手術へ向けて、準備のための目薬も始まった。術後の感染症を防ぐために、常在菌の駆除をしておくらしい。こうやって、医療は進歩してきて、安全性が高まっているわけだ。
 バーゲン(bargain)のお得感は減少したが、月2回のまとめ買いに、ドラッグストアへ行ってきた。スマホでクーポンもチェックして使用した。
 昨日送った難物ミッションに早くも返信があり、アドバイスをもらえたので、それだけ修正して、また事務局へ送った。原案がしっかりできたので、ひらめきがあるたびに更新していく。
 英会話の勉強は童謡の復唱で時間がかかっている。リズム感がこれほど難しいとは知らなかった。しかし、リズム感を体得しておかないと、通常の例文の暗唱(Idiom や vocabulary を増やすのが目的)も Japanese English になってしまう(笑)。
 いよいよ本番用の英語のスライドを作ることになるが、その前に、10年くらい前におこなった英語の講演のスライドを2つ引っ張り出して見てみた。ビックリ仰天。どうやって作ったのか思い出せない(笑)。仕事のやり方が決まっていないことが分かったので、明日から、試行錯誤でやってみようと思う。やれやれ。毎回こんな調子だから、仕事の能率も効率も上がらないのだ。
 夜になり、ますます冷え込んできた。
 入院の準備も開始した。少しずつやっていく。ボケ老人らしいマイペースということだ。

1月10日(水)「入院・手術・・・の風さん」
 数日前にシェーバーの外刃が外れた。この電気カミソリは、20年以上前に、中日ドラゴンズの優勝セールで購入したものが初代で、以来、何度も外刃と内刃を交換するだけでなく、本体も再購入して使っている、古典的なタイプのものである。今では、本体含めて、入手するにはネットしか手がないだろう。ちなみに旅行用のものも、同じブラウン製で、自宅で使用しているものより、さらにシンプルなものだ。こちらは外刃も内刃も交換部品はないと思う。何せ、当時、コンビニで800円で購入した骨董品みたいなものだ。それでも、水洗い可能だし、充電電池を入れて使っているので、自宅用と機能的に差は小さい(笑)。明後日からの入院・手術にもこれを持って行く。
 どんな品物でも、なるべく捨てずに長く使用するのが私のモットーである。今日は、裏の土地で不調になったガーデンソーラーライトの1本を分解して内部を掃除した。内部は虫の死骸がいっぱいだった。自分で交換した高性能充電電池は生きていて、電気回路もこわれていなかったので、復活した。再び、裏の土地に設置してきた。
 修理といえば、この間、電子レンジのヒューズが飛んで、半田ごてを使って交換したが、またヒューズが飛んだので、私の手に負えないと判断して、電子レンジを購入したことがあった。その時、ネットで入手したヒューズは3個セットで、2個余ったので、メルカリに出品しておいたら、運よく売れた。発送した品物も無事に先方に着いたので、純利益が200円になった。ネットオークションは、物を棄てられない私にはありがたいビジネスだ。
 今月のスケジュールをチェックし、今夜中にやっておく必要があると判断したので、寒かったが hairdye を強行した。次は、2週間後だろう。
 明日は、長女のために名古屋へ行く。私の入院・手術は時間をかけたプロセスの結果だが、急遽、長女も2月に入院・手術になってしまった。ワイフと一緒に医師の説明を聞きに行くのである。

1月11日(木)「手術前日も大忙し・・・の風さん」
 いつもより早めにルーチンを終えて、ワイフとアクアで名古屋へ向かった。
 私の目の手術は昨年の早い時期に決まっていたが、年末になって長女も手術が必要だということになり、医師に説明を聞くため、出かけたのである。
 有料道路と名古屋高速を1時間ほど走って、大きな病院に着いた。
 仕事を終えた長女も昼過ぎに病院へやって来て、院内で軽食を摂った。
 私自身は長生きしてきたので、病気はもちろん手術の経験もそれなりに多く、これからも何があっても「そういう年齢だから」と受け入れることになるが、まだ若い長女はこういった不運は容易に納得できないと思う。自然災害に襲われたことと似ている。すべての準備や予防、対策は無理である。
 しかし、こうなった以上、患者側として、誤った選択をするわけにはいかない。特に、こちらは素人なのだから、専門的な判断はできない。医師が自信をもって説明しているかを推測するだけだ。
 多くの検査データを一つ一つ見せてくれて、こちらが分からないにしても、ていねいに説明していたので、不審な気持ちにはならなかった。
 まだ検査は残っているそうで、手術は来月になる。
 長女をマンションまで送って、私たち夫婦も家路についた。今度は私の番なのだから。
 明朝の出発が早いので、さっさと就寝した。

1月12日(金)「目の手術の1回目・・・の風さん」
 最寄りの駅を7時45分に出発する電車に乗った。私にとっては今朝は超早起きした。
 電車はやや遅れたが、病院には指定時刻前に着いた。受付を通ってすぐ入院準備になった。
 看護師の説明を受けてから、病室に入った。個室である。
 手術の予定時刻と個室の番号をワイフにメールした。病院の推奨で、家族が付き添うのである。
 途中で点眼を受けたりとか、内服薬の服用とか色々あったが、午前中には簡単な検査と執刀医と院長の診察があって、予定通りに進行していった。
 新型コロナの影響がまだあって、昼食は個室まで運ばれてきた。いつものように完食し、配膳を廊下のラックに戻しに行ったら、同じフロアに5人入院しているらしいことが分かった。
 手術までに、少しでもルーチンをやっておこうと、英会話の勉強と読書をして過ごした。
 執刀医も病室に来てくれて、激励してくれた。激励と言っても人情的な話ではなく、「しっかり切るので、術後は出血でしばらく見えなくなるのが普通です」と念を押して行ったのだ(笑)。
 手術の予定時刻の30分前にワイフが到着した。病室で食べられそうな飲食物をたくさん買ってきてくれた。
 予定時刻より10分くらい遅く、看護師が迎えに来た。上の階の手術室に案内され、外で手術室用のスリッパにはきかえ、車いすに乗せられた。広い手術室にはオルゴールの曲が流れていた。
 一つの手術台の前まで行くと、ちょうど手術が終わった患者が、自分で降りて車いすに乗り換えるところだった。流れ作業みたいでちょっと驚いた。
 手術台は歯科治療を受ける時の椅子に似ていた。不織布のマスクはずっとしたままで、防塵キャップをかぶせられ、頭を固定して椅子が後ろに倒された。血圧計や血中酸素濃度計の装着はごく普通で、あと栄養剤程度の点滴があったが、おそらくそれは気休めだろう(笑)。
 目の手術は通算4回目になるが、以前とやり方は違っていた。目の周囲の念入りな消毒の後、透明ビニールのようなものを、目を開けたままぴったりとかぶせられた。手術しない方の目はつぶっているが、光は十分感じられる。明るい方を向いていれば、それでいいのだが、時間の経過とともに、目が疲れて来るので、途中で下向きになるらしく、「まっすぐ前を見て」と言われた。
 手術の手順は前もって勉強はしていない。特に白内障と緑内障の手術をこの一回でおこなうので(今回のは眼内法)、いくらか複雑なはずだ。手術の最大の目的は再発した緑内障の治療で、眼圧を下げるため、流路の切開をおこなう。顕微鏡で見ながらメスで切られ、必然的に出血するのだが、どうせ痛くないだろうと高をくくっていたら、痛かった(笑)。ぐさりと何かが差し込まれる感覚と、ピリッと切られる感覚がある。眼球に神経はないはずだが、周囲の神経が鋭敏なのかもしれない。
 何度も何度も痛みが走るので、早く終わってほしいと、祈りながら耐える、耐えながらまた祈るという何とも情けない状態になった。リラックスするため、両手の指先を動かして気を紛らわせようと何度も何度もしてみたが、たいした効果はなかった(^_^;)。
 お疲れ様でした、のひと声で、手術が終了したことが分かった。
 車いすに乗り換えて、手術室を出ていくとき、オルゴールが流れていることに気付いた。
 そのまま病室に戻ると、ワイフが「意外と早かったわね」と言った。本人は予定より長く感じていたのだが、おそらく正味の手術時間は30分程度だったと思う。
 目にガーゼが当てられている状態で、目の奥には痛みが残っていた。横になると出血する恐れがあるそうで、ソファに座っていた。
 夕食前に院長も回って来て、様子を尋ねられたので、痛いですと言ったら、薬を出しましょうかと言われたが、やせ我慢で大丈夫ですと返事した。
 6時に夕食が運ばれてきて、ワイフは持参のサンドイッチを一緒に食べた。病院食は完食した。
 面会の門限8時の30分前にワイフは帰って行った。
 片目ではやれることは少ないし、とにかく今日は朝早くから忙しかった。
 10時過ぎにベッドに、少し頭を高くして横たわると、あっという間に寝てしまった。疲れていたのだ。

1月13日(土)「手術翌日・・・の風さん」
 昨夜はいつもよりかなり早く就寝した。疲れていたとは言え、早すぎたみたいだ。朝だと思ってベッドから起き出したら、時計の短針と長針を逆に見ていて、まだ3時半だった。左目のガーゼに異常はなし。ベッドに逆戻り。
 6時半起床。カーテンを開いても、外はまだかなり暗い。普通ならトイレ、洗顔と進むのだが、洗顔は1週間禁止である。感染症が最もこわい。
 7時に朝食が運ばれてきた。味噌汁が美味しかった。完食。
 8時半ころ診察のため、階下の待合室へ行った。既に外来がたくさん来ていた。入院患者が真っ先に呼ばれて、検査室へ入った。一人一人に看護師がついて、ちゅうちょなくガーゼを外していく。こっちはおっかなびっくりなのだが、情け容赦ない(笑)。ガーゼがなくなった瞬間は、まぶしい。目の周囲を拭いてもらう間に、周囲を眺める。まだらな明るさだが、見える。すぐに眼圧検査があり、手術した方が断然低かった。視力検査は、まだらな視界の中で、Cのマーク(世界標準のランドルト環)の切れ目を探して言ってみる。中くらいのサイズまで見えた。
 続けて、執刀医と院長の診察があった。執刀医は「出血もなくて理想的ですね」と初めて前向きの発言があった。院長からはどうですかと聞かれたので、痛みもだいぶなくなりましたと返事した。とにかく二人には感謝である。
 病室に戻って、退院のために片付けている間に、退院説明が看護師からあった。数日間は禁止事項と点眼がいくつもある。手術した左目の視力だけが頼りで、行動しているのだが、けっこう問題なく何でもできる。
 1階のロビーで待っている間に、名古屋に住んでいる長女夫婦がクルマで迎えに来てくれた。ありがたい。
 途中で昼食を摂り、自宅へ戻った。
 長女はサラちゃんに会うのが楽しみで来ているのだが、意外にもサラちゃんは旦那を歓迎してくれて、警戒しないどころが、子猫のような声で甘えて鳴きながら、旦那の周囲を歩き回った。私にもしない態度だ。
 昨年旦那からもらったブルーマウンテンでコーヒーを淹れて飲んだが、香り高く、格別の味わいがあった。
 久しぶりに我が家に来てくれたので、庭の梅の木をサンルームから眺めながら、人生で初めて剪定をした話をした。
 長女は歯医者の予約があったので、1時間半ほどの滞在で二人は帰って行った。
 夜までに少しずつ左目の見え方が安定してきた。設定通りに中間距離までしかよく見えない。しかし、手元はそこそこ見える。これからの人生、自宅にいることが多く、仕事はPC作業が中心だ。手元の資料を見るたびにシニアグラスをかけるのは億劫なので、こういう設定のレンズにしたのだが、どうやら狙い通りになりそうだ。
 今日も疲労感が残っているので、入浴して(洗髪もまだ禁止)さっさとベッドにもぐり込んだ。左目をカバーする保護具をつけたが、あっという間に寝てしまった。

1月14日(日)「早くも日常に近付く・・・の風さん」
 また3時ころに目が覚めてしまった。もう疲労もとれたのかも。
 いつも通りにやや寝坊で起床。手術した左目の見え方はさらに安定したようで、焦点距離を中間距離にしたことがしっかり自覚できる。だらだらした生活なら、今の状態でもいいが、右目と左目のアンバランスが、PC作業にもちょっと不便なことが分かったので、右目だけコンタクトを入れてみた。すると、面白い見え方になった。
 右目は近くから遠くまですべて見える。遠くはコンタクトの矯正による。近くが見えるのは、スマホゲームで鍛えたおかげで老眼が改善したからだ。水晶体が存在することのありがたさを、右目は明確に証明してくれた。
 これで中間距離での作業になる作家業つまりPC作業は問題なくできることが分かった。仕事に復帰することにした。先ず、気まぐれ日記の更新だが、昨日よりも断然楽だった。
 午後になり、雑務を片付けながら、電話をする必要があったので、2件かけた。目とは関係ないが、日常に戻りつつあることを感じる。コンタクトの力も借りて、こんなに早く仕事ができるようになるとはありがたい。
 英会話の勉強や児童書の執筆も再開したが、このころには情けなくもパワー切れ(笑)。
 昨年電話で依頼した医療保険の請求書類を、やっと開封して、中身の確認をした。1年前に保険の見直しをしたことで、医療保険が2つになり、今回2社に保険金の請求ができる。幸運としか言いようがない。それぞれ特徴があるので、申請方法を検討した。明日、それぞれに申請方法の確認の電話をしようと思う。
 入浴時、うっとうしいので、後頭部のみ洗髪した。洗顔が禁止なので、洗髪も顔が濡れてはいけないのだ。
 よけいなことだが、就寝前に手術した左目には4種類、治療中の右目には3種類の点眼がある。

1月15日(月)「強風が吹き荒れる中で・・・の風さん」
 新たな日常が始まった気がする。しかし、今日は寒い。外は強風が吹き荒れている。裏日本は降雪予報なので、それよりマシというか、まあ、1年のうちで最も寒い時期だから、仕方ない。
 風は強くとも、灯油切れが心配だったので、外のタンクに補充をしておいた。
 今回の目の手術ではしっかり医療保険を2社とも請求できる。ありがたいことだ。しかし、ボケ老人の苦手なきちんとした手続きは必要だ。しかも、すべて自分でやる。これまで少しずつ勉強してきたので、最後の他愛ない疑問点を電話で確認した。どちらもたいした問題はなかった。これで請求の作戦は確定した。1社は手術1件ごとに素早くネットから申請する。もう1社は、手術2件が終わり、さらに手術要因の通院がしばらく続いた後、まとめて請求する。
 親しい姓名判断家の南山誠林さんは、伝統的な正しい漢字を使って画数を数える。判断の元は長いビジネス経験から得られた知見が豊富に盛り込まれている。そして、判断結果は、人生を明るく前向きに生きていけるようにするためなので、不安をあおって終わりなんてことはしない。良い方向性、解決策へつながら指針が与えられる。
 南山誠林(なんざんせいりん)さんの正統派の姓名判断がデファクトされるべきだと思うのだが、世の中にはフェイクやインチキや詐欺がなかなか淘汰されない。微力ながら、自分のフェイスブックでシェアしたが、本当に微力なのが情けない。
 苦しんでいる児童書の執筆だが、何度も何度も最初から見直して修正している。今日も、そんな執筆になってしまった。
 とうとう1日中強風が唸り声を上げていた。明日は術後検査なので、さっさとベッドにもぐり込んだが、あっという間に眠りに落ちた。やはり疲れているのか、それともボケ老人らしい体力しかないのか。やれやれ。

1月16日(火)「今年の読了1冊目・・・の風さん」
 術後検査のため、電車で眼科病院へ行った。風が強く、寒い日だ。充電式カイロをポケットに入れ、ワイヤレスイヤホンで英会話の録音を聞きながら往復した。これで、寒さのことは忘れていられた。
 ところが、先日も同じだったのだが、屋内では階段ののぼりおり含めてまったく問題ないのに、電車の乗り換えなど、まともに外を歩くと、ひざの裏が痛い。ストレッチを中断しているのもわずかの期間なのに、すぐこういったことが起きるのが、本当の老いというか現実なのだろうか。
 術後検査は驚くべきもので、手術翌朝のすばらしい数値とは比較にならない悪い数値。ここ2年間でも、こんなに悪かったことはない。診察を待つ間に、もう再手術の覚悟を決めていたというくらいだ。しかし、さすが医師は科学者だ。妙な感情的発言はなく、術後に始まった新しい点眼剤の性質による可能性があるという。それらの影響をなくすための薬の処方がされ、明後日の、今度は右目の術前検査来院日に、再度診察を受けることになった。
 会計を終えて、医療保険のことで受付に質問をし、すべて用事が終わったので、来たときと逆のコースで家路についた。
 昨年購入したドライブレコーダーのレビュー投稿が採用されたことで、販売元からギフトがもらえた。確かに気に入っているドライブレコーダーなので、もらったギフトを使って、microSDの容量をアップすることにした。前後の録画をしている関係で、予想していた倍の速度で録画データが書き換えられていたからだ。
 昨年から英語の発音の勉強をしていた本をついに読了した(と言っても、実際はCDを聴きながら全ページ勉強をしたということだが)。社会人学生になってしばらくして購入した本だった。国際的な学会の場での発表を想定して、当時もっとも評判の高かった本だった。深澤俊昭著『英語の発音パーフェクト学習事典』(アルク)で、2800円(税別)もしたが、2008年の第13刷だった。結局、通算5年間の社会人学生時代には使うことがなく(他にも何冊も買っていて、それらはすべて勉強した)、10年以上経過して、役立つときが来るとは思わなかった。すごい本である(現在は改訂版が出ている)。今年の読了1冊目。

1月17日(水)「小春日和・・・の風さん」
 冬らしい日が続いていた中で、とつぜん小春日和の予報である。アレクサによると日中の最高気温も13℃くらいになりそうだ。しかも風が吹いていない。 
 朝食後すぐキャメロンで灯油を買いに行った。もちろん右目だけコンタクト。左目がそこそこ見えるので、運転に困難を感じなかった。この冬、灯油の価格はずっと安定している。ガソリンと大違いだ。
 帰宅してからルーチン。そして昼食と順調に進んでいった。
 インスタントラーメンを食べた後、屋外作業に出動した。このところ玄関灯が不安定だった。ここの電球は築後何度も交換している。特に冬期は過酷な環境のため切れることが多かった。途中で白熱灯から蛍光灯電球に代えたが、あまり変化はなかった。現在は7WのLED電球だが、暗くなると自動点灯する優れモノである。帰宅が夜になっても玄関の外が明るいと、鍵を開けるのが楽だ。さらに、LEDは長寿命で、もう数年間交換していない。
 脚立にのぼって分解してみたら、内部はクモの巣でいっぱいだった。
 9つの部品に分解して、水洗いし、内部のゴミは歯ブラシでかき出した。塗装のやり直しができれば完璧だが、それは春になってからやろう。
 交友関係の広い私のところへは、とつぜんと言うか、おひさしぶりのメールがよく来る。それらに対しても、全力で返信を試みる。今日も、2件はそういった内容のものだった。そのうち何らかのアウトプットにつながれば、気まぐれ日記にも書くことになる。
 そんなこんなで、医療保険請求大作戦の第一弾が夕方になってしまった。昨日、左目の手術の診療明細を入手できたので、Websiteから申請手続きに挑戦してみた。診療明細はスキャナーで画像化した。本当に簡単にできた。
 というわけで、今日は児童書の執筆と英会話の勉強ができなかった。やばい。
 しかし、玄関灯はしっかり点灯している。

1月18日(木)「風邪をひいたかも・・・の風さん」
 最寄りの駅を7時45分に出る電車で名古屋へ。私としては超早起きだった。もちろん昨夜はさっさと就寝したが、私の本来の体内時計と合わない。現役会社員時代はよく頑張っていたものだ。だいたい土日で寝だめして帳尻を合わせていたのだが、それにしても、だ。
 今日は風はないものの、朝から小雨がぱらついていた。気温もそこそこ低い(若いころは全然平気なレベルだったよ)。一昨日と同様に、充電式カイロはポケットに入っていて、耳にはワイヤレスイヤホンで英会話を聴いているから、寒さを気にしているヒマはないはずだ。
 今日、眼科へ行く目的は来週の手術のための術前検査である。一昨日の術後検査の結果が悪かったので、再検査という目的もある。再検査結果は少し改善された。投薬が効いたのかも。診察時にまた検査したが、さらに数値が改善されていた。深刻な状況ではなさそうなので、このまま来週の手術にのぞむことになった。
 帰りは電車の乗り継ぎが悪かった。なので、駅での待ち時間中が寒く感じられて、ちょっと変だなと思った。
 最寄りの駅からは歩くつもりだったが、幸運にも迎えに来てくれて助かった。実は、この時点で体調がおかしいことは間違いないと思っていた。長生きしていれば、何度も同じ経験をしていて分かる。体の節々が痛くて、少々熱っぽく感じる、風邪の症状だった。すぐインスタントラーメンを作って食べ、そのままリビングでダウンした。
 目覚めたときは日没後だった。4時間くらい寝たのに、体調は戻っていなかった。
 ルーチンだけはやった。多種多様な点眼も指示通りにやった。今夜もさっさと就寝した。

1月19日(金)「風邪ではないのに・・・の風さん」
 昨年ワイフが依頼した庭木の剪定のためにシルバーさんが来てくれた。昨日、「明日行きます」と連絡があったので、OKはしたものの、本当は、午後、ワイフも私もそれぞれ出かける用事があって、完全OKではなかった。でも、忙しいシルバーさんの都合がやっとついたので、お願いすることにした。
 梅は既に私がやってあるし、他の庭木もほとんど葉っぱは落ちている。仕事量は少ないはずで、早く終わるのではないかと期待していた。
 ワイフは午後になり、用事で出かけた。
 私はかかりつけのクリニックに行く予定にしてあった。出発の予定時刻になったが、シルバーさんの仕事は終わっていなかった。最短で行って帰って来る作戦を諦めた。
 待ち時間が読めないパターンになった。この頃からまた体調が悪くなった。昨日ほどではないが、頭が重い。発熱はない。花粉症もひどくなり、抵抗力が低下していることを感じた。とうとうクリニックへ行くことを断念した。シルバーさんの仕事が終わったのも、いつもとそれほど変わらなかった。
 体調が悪いため、NHKで大相撲の中継を見ることにした。実に久しぶりだ。大学時代はよく見たものだ。テレビでのスポーツ観戦は何でも大好きだった。中学時代はキックボクシングが好きだった。沢村忠を応援していた。高校時代で、一年間通学していたことがあったが、金曜日の駅前のソフトクリーム屋で、ローラーゲームを見るのが習慣になっていた。東京ボンバーズを応援していた。
 体調は好転せず、今夜もさっさと就寝した。もうこの世で生きる資格を失いつつあるのか。

1月20日(土)「体の節々が痛い・・・の風さん」
 今日は二十四節気の大寒である。一年の中でも最も寒い時期だ。しかし、小雨がぱらついているが、昨日に続いて、寒さはそれほどではない。起床後は昨日の体調不良が治っていたので、今日こそ頑張るぞと、と気合を入れる。
 ストレッチをフルでおこなった。それがいけなかったのかは不明だが、体の節々が痛くなった。筋肉痛ならもっと気持ち良い。そもそもストレッチ直後に筋肉痛が出るはずがない。頭痛はないので、風邪やインフルではないと断定するため、体温を測定してみた。35.7度。低体温症か(笑)。
 とにかくあちこち痛いので、これでは仕事ができない。短気を起こした私は、ロキソニンを服用した。バファリンが効くとは思えないし。
 たらたらとルーチンを終え、「バイオハザードV」の後半をリビングで観終わるころから、痛みが薄らいできた。
 30日の講演スライドの見直しを一気にやれそうな気がした。
 痛みがなければ集中できる。講演スライドの見直しを最後までおこなうことができたので、今回もデータ便で事務局へ送った。
 この勢いを維持したかった。来月の英語での講演のためのスライド作りの作戦を立てようと思った。再び、過去の事例のチェックをした。それらの中で、Takebe Conference における Short Speech のスライド作成の謎を思い出した。スピーチ原稿はなく、セリフはすべてスライドに書かれてあった(笑)。退社1年目で、超々多忙だった。こうやって乗り切ったのかと、あらためて自分のアイデアに感心した。今回、そっくり使えるアイデアではないが、部分的に使えるヒントにはなった。

1月21日(日)「原因は頚椎症だったらしい・・・の風さん」
 今朝はストレッチをやめてみた。スポーツ選手はハイレベルな領域で自らの体調を管理しているのだと思う。そして、少しでも上を目指す。すごいことだ。一方、ボケ老人の私は、せめて現状維持というささやかな目標にしていても、ひんぱんに何かが起きる。これが老いなのか。
 今日も昨日に続いてぱっとしない空模様でも、気温はそれほど低くない。昨夜から、洗髪や洗顔をおそるおそる復活させている。感染症のリスクはもうかなり低くなっていると思われるので、色々なルーチンにかける時間が短縮化されてきた。
 ところが、今日は今日の異変が起きた。両手がしびれている感覚がある。背中全体に妙な痛みもある。ここ十数年の経験から、答えが推定された。昨日以前の変な症状よりは、既往症と似ていた。頚椎症である。頸椎で圧迫による問題が発生すると、あちこちで症状それも主に痛いという症状が出る。肩や上腕が最も多い。筋肉痛ではないので、鈍痛で気持ち悪い痛さだ。最近の背中を中心とする節々の痛みもそれだったのかもしれない。先日処方してもらって、しっかり残してあったロキソニンを服用した。
 また右目を手術して、同じプロセスを経ることになるので、頚椎症が出る恐れがある。ロキソニンはまだ残っているから、乗り切れるだろう。
 午後になって青空が出てきた。こうなると雨の心配はない。ワイフが墓参に行こうと言ってくれたので、出かけることにした。両親の命日17、18日からやや遅れたが、毎月墓参に行けるのはワイフのお陰だ。今日も、空は晴れていたが、墓石まわりは濡れていて、一人でやるのは大変である。
 昨日送った某企業向け講演スライドに対して、事務局からていねいなアドバイスが得られたので、早速再改訂して、再提出した。休日にもかかわらず即応してくれるのは、現在では貴重な存在だと思う。
 その勢いで、来月の英語での講演スライドの作成の続きをやった。聴講者はほとんど外国人とのことなので、最初に話すべきことを考えてみた。日本人の聴講者なら不要でも、外国人なら絶対に必要なこと、特に今回の講演でのメッセージに関係する江戸時代ならではの前提条件である。
 筆頭は身分制度だ。制度とは言っても明文化されてはいない。社会のしくみを含めた、体系である。武士と農民の関係は、西洋の封建制度に似ている。その他の身分には、貧富の差が見られるが、厳密な序列はない。色々な職業の人がいて、ほとんどは世襲だった。士農工商といった間違ったイメージは、例によって明治以降に作られた。似た例に鎖国政策がある。後の政権が前の政権をおとしめる例は、世界標準である(笑)。
 ロキソニンがばっちり効いて、両手のしびれも背中の鈍痛も消えた。仕事をがんばらなくっちゃ。

1月22日(月)「自分流から抜け出せない・・・の風さん」
 いつのまにか同窓会にはたくさん入っている。そのうち年会費が有料なのは4つある。内3つが東北大学だから重複もはなはだしい(笑)。ま、とにかく、その中の1つがついに書面でなく、メールで事務手続きをすべてやろうということになった。送金手数料がそれぞれ月に5回まで無料になるスマホアプリを2つ整備しているので、そのうちの1つで年会費を納め、事務連絡の返信をした。ボケ老人には楽になったが、この同窓会の存在意義が薄れていく気もする。ま、恩師が存命の間までかなとも思う(その前に自分が物故したりして)。
 先週末に予定していてできなかったかかりつけ医へ行った。ついでなので、ドラッグストアでクーポンを使って1品買い、ホームセンターでワイフの注文品も買った。クリニックは空いていて、思ったより早く帰宅できた。
 今日は晴れて風もなく、気温もかなり上がった。キャメロンで外回りをしたのは正解だった。
 一方、屋内では、英語での講演の準備を急いでいるのだが、実際に始めると時間がかかることかかること、おびただしい。否、のろまだからだろう。出かける前に終えてしまおうと思ったことが、就寝時刻まで頑張ってもできなかった。いつものように落ち込んだ。こういった傾向は学生時代からで、自分のやり方が下手なことはよく分かっている。どうすればいいのかも、長い人生で学んだ。ちょっと試してみたこともあるが(それを私は東大方式と勝手に命名している)、自分に向いていないのか、自分のものになっていない。結局、自分流に戻っている。やれやれ。明日はどうなることやら。

1月23日(火)「自分を見る目・・・の風さん」
 今日も、スマホアプリを使って(昨日とは違うもう1つの)、自分の口座への入金処理を書斎でおこなった。なぜ、わざわざ、自分の口座なんかへ、と思われるかもいしれないが、成り行きで家計を管理することになってしまった私は、通帳への記載を、家計簿のように細かく、そしてできるだけ厳密におこなっている。今回は、金額の最後の3桁まで。つまり硬貨の単位まで記入したかった。これをATMでやるのは、昨今のご時世ではけむたがられる。つまり有料になるか、あるいはできない(笑)。そこでスマホアプリを利用し、他行への振り込み、手数料無料となったわけだ。めでたしめでたし。
 そのATMにも用事があって(爆笑)、キャメロンで外出した。ドラッグストアでもまとめ買いして、帰宅した。これで、手術日までもう外出はない。
 今日から、滅菌のための目薬が追加され、点眼がさらにややこしくなった。
 ルーチンを終え、昨日に続いて英語の講演の導入スライドの作成の続きを始めた。外国人聴講者のための江戸時代の説明だが、その1枚目がまだできない。最初のアイデアは良かったと思う。ところが、作成しながら、出来が悪い上に、インパクトが弱い気がしてきた。どうにも気に入らない。小説で言うと、書き出しがちゃんとできないと、先が書けないという、いつものクセが出た。これがゲージツカだとうそぶいても誰も褒めてくれない。自分のしていることは、すべて自分が見ている。小説家なので、この視点を意識できる(普通の人は視点は混乱することが多い)。だから、厳しい自分だ。
 就寝前に、両目それぞれに処方された点眼(右4種類、左4種類)をしたのだが、目薬2本を左右間違えた。気付いたので、交換してまた点眼した。ぼけぼけ。

1月24日(水)「今季の初雪か・・・の風さん」
 膨大な雪雲が西から日本列島にせまっている。当地は今夜から雪が降りそうだが、たいしたことはなさそうだった。と思ったのが昨夜で、今朝のニュースでは、名古屋がもう積雪していた。わずか50kmくらい南の当地だが、全然様子が違う。
 右目手術の週末が近付いてきた。来週は講演もある。ボーっとしている場合ではない。
 講演の道具類を一か所にまとめて並べておいた。前日までに講演スライドのおさらいをすれば、準備はバッチリだ。
 昼前から hairdye を強行した。簡単にやるので、月に2回を覚悟しているが、出かけるタイミング、人と会うタイミングを見ておこなう。
 昼食のインスタントラーメンを食べ終わったころ、ワイフが友達とのランチから帰宅した。途中で小雪がぱらついたと言う。昨年のうちにスタッドレスに換えてあるから大丈夫。キャメロンは、雪が降ったら動けない(ゴム製のタイヤチェーンはあるが、積雪状態でないとスタッドが路面との摩擦で激しく摩滅する)。
 2冊出版させていただいた日刊工業新聞社とのやりとりが最近あって、現行のセミナーの改訂案を急いで作ることにした。もともと10月くらいに提案すると宣言していたのだが、のろまのクセが出て、中断していたのだ。再提案には良いタイミングだったので、モチベーションが高まっていた。そのおかげで、半日かかったが、たたき台ができた。就寝前に、担当者へメールで送った。中断が長かったので、ビックリするかもしれない。
 夕方から降り出した雪は衰えることなく降り続けている。明朝までにけっこうな積雪になりそうだ。

1月25日(木)「入院手術前日・・・の風さん」
 目が覚めて、カーテンを引いてみると、日は昇った直後くらいで、外は仄明るかったが、屋根も車庫も庭もしっかり雪が積もっていて、荘厳な雰囲気だった。当地は年に1〜2回降雪があるが、これくらい積もることはあまりない。裏日本が豪雪なのが痛く想像される。
 明日からまた入院手術になるので、ややこしいことは先にやっておこうと、午前中に重要なメールを送ったり、Facebookを更新したり、e-Taxのお知らせを読んだりした。
 午後からは、明日(ふろの日)できない風呂釜掃除(2か月に1回)をやった。
 入院手術は2週間前と同じなので、準備はほぼ終わっている。違っているのは、持って行くパジャマを出したら毛玉がびっしりだったので、ハサミでちょんちょん切ったこと(笑)。
 明日から2日間できそうもない児童書の執筆はもちろんやった。これはモチベーションを高めることが最も大事で、新たなアイデアを入れながら、これまで書いた部分を直した。
 同じく明日から2日間できないのが入浴だ。晩御飯後、この世の最後の風呂くらいに思ってさっさと入り、就寝モードに突入した。
 今朝積もっていた雪は、もうほとんど残っていない。

1月26日(金)「2週間前と違った手術・・・の風さん」
 6時15分に目覚ましで起床。
 前回の手術は、実は痛かった(笑)。眼球には神経が通っていないので、不快な感触はあっても痛みはほとんどないと思っていた。しかし、よく思い出してみれば、かつてレーザで手術した時は痛かった。そのへんを今回も切開するので、痛いのは当然だった。もちろん点眼の麻酔はするし、手術前に精神安定剤程度の服薬はある。そして、前回は、術後もこの痛みがしばらく続いた。
 そういった記憶があったので、今回は痛いのを覚悟して手術を受ける。私の好きなチャレンジの一種だ。チャレンジは好きでもジェットコースターにチャレンジする気はないので、手術はジェットコースターよりもはるかに耐えられる(笑)。
 ここしばらく早寝早起きという、私の体内時計にさからった生活をしてきたので、夜中に途中で目が覚めたり、起床前に夢を見たりしていた。こんなことはめったにない。見た夢の中に、数日前だが、恐ろしいものがあった。我が家でゴキが大発生した夢だった。悪夢である。否、最悪夢だ。こんなひどい夢を見たので、もうこれからは良いことばかりが続くに違いないとも思っていた。
 2週間前と同様に、7時45分発の電車で出発した。そこからは録画が再生されるように、同じパターンで進んでいった。
 手術は予定時刻より1時間くらい遅れて始まった。順番の前の人が長引いたのだそうだ。その後も、前と同じように進行したのだが、大きく違っていたことがあった。痛みをほとんど感じなかったのである。ただし、体は痛みを待ち受けて緊張していて、なかなか力が抜けず、大きく深呼吸を繰り返していた。
 病室に戻ってからも、痛みはほとんどなかった。この幸運を誰に感謝したらいいのか分からなかったが、とにかく「ありがたい」という言葉を何度も繰り返した。後から付き添いに来てくれたワイフも驚いていた。
 しかし、肉体は疲れ切っていて、早々に寝てしまった。

1月27日(土)「左右の違い・・・の風さん」
 5時半起床。痛みはない。カーテンを引くと、外は真っ暗だったので、すぐ閉めた。
 痛みがなければ、よけいな心配もせず、着々と退院へ向けて準備を続けられる。2週間前の記憶が役に立つ。
 朝食、検査・診察、退院説明と順調に進んだ。
 術後の経過はまずまずか。前回の経験があるので、その瞬間その瞬間で一喜一憂はしない。数値は変動する。安定するまで時間がかかるのである。2週間経過した左目だって、まだ安定とは言えない。
 ワイフが迎えに来る1時間くらい前に、もうすべて終了して、1階の待ち合い室で待機状態となった。前回の手術が一緒だった男性患者と再会し、情報交換をしたが、やはり個人差は大きい。彼の場合、期待と大きく違っていたことがあって、悩んでいた。
 帰宅し、札幌ラーメンを作ってもらって食べたが、実に美味かった。とりあえずは、食べて寝て体力を戻すことだ。その後、リビングのソファで昼寝。
 夕方、発注してあったDVDプレイヤーが届いた。英会話の勉強で使っていた年代物が、木曜日に壊れてしまったので、急遽発注したのだ。元々、ワイフ専用のDVDプレイヤーだった。急いで発注したので、動作がちょっと心配だったが、大丈夫だった。あ、もちろん安物なので、何でもできるわけではない。
 夜になったが、手術した右目はまだあまりよく見えない。遠くはかすんでいる。今日発見したことの一つに、白い色を、左右で見比べると、2週間前に手術した左目ではやや橙色っぽく見え、右目では真っ白に見える。また、左目は飛蚊が増えた。右目は飛蚊がそれほど認識されない。
 安定化するまで時間がかかるだろうから、と今夜もさっさと就寝した。

1月28日(日)「入浴の大切さ・・・の風さん」
 早起きモードを継続中。寒さはいくらか和らいでいるので、予後を過ごしている身としては助かる。
 週末、メールチェックをしていなかったので、今日の最初のミッションがこれだ。
 ところが、執筆マシンに裸眼で向かうと、右目の視力が安定しないために、焦点がぼけてよく見えない。前回の左目は、日曜日にはもう普通に見えていた気がするが、とにかく見えないものは見えない。止むを得ず、ドライバーズグラスを持ってきて、かけてみた。ほんの少しだけ改善したら、何とかPC作業はできるようになった。
 2日以上メールチェックしていなかったので恐怖だったが、その間の新着メールはそれほど多くなかった。今日中にすべて対応はしておこうと思う。
 まだ気合が十分に入らないので、午後からは昨日届いたDVDプレイヤーを使って、英語の発音トレーニングをおこなった。これは次女が残して行った教材で、昨年の9月から少しずつ視聴し、発音の重要性にあらためて気付いたありがたいものである。DVDは全部で5枚あるので、1日に1枚ずつ一気に復習してしまおうと思った。
 ところが、通しで視聴するだけでもかなりの時間を要することがだんだん明らかになってきた。
 結局、昨日から2枚のDVDを視聴し終えたのは、夕方だった。その後は、児童書の執筆の続きをやったが、疲れていて集中できなかった。やれやれ。
 禁止されていたので、2日間入浴していなかった。目に水がかかる洗髪や洗顔は、感染症の恐れがあるので、禁止なのである。それでも、がまんできず、今日、入浴はした。顔に水がかからないように最大の注意を払った。それでも、スッキリした。地震被害のため避難所で生活している人たちが、風呂に入りたい、せめてシャワーだけでも、と訴える気持ちがよくわかった。日本人の生活スタイルからすれば、入浴は寝食と同等に重要なのだ。

1月28日(日)「入浴の大切さ・・・の風さん」
 早起きモードを継続中。寒さはいくらか和らいでいるので、予後を過ごしている身としては助かる。
 週末、メールチェックをしていなかったので、今日の最初のミッションがこれだ。
 ところが、執筆マシンに裸眼で向かうと、右目の視力が安定しないために、焦点がぼけてよく見えない。前回の左目は、日曜日にはもう普通に見えていた気がするが、とにかく見えないものは見えない。止むを得ず、ドライバーズグラスを持ってきて、かけてみた。ほんの少しだけ改善したら、何とかPC作業はできるようになった。
 2日以上メールチェックしていなかったので恐怖だったが、その間の新着メールはそれほど多くなかった。今日中にすべて対応はしておこうと思う。
 まだ気合が十分に入らないので、午後からは昨日届いたDVDプレイヤーを使って、英語の発音トレーニングをおこなった。これは次女が残して行った教材で、昨年の9月から少しずつ視聴し、発音の重要性にあらためて気付いたありがたいものである。DVDは全部で5枚あるので、1日に1枚ずつ一気に復習してしまおうと思った。
 ところが、通しで視聴するだけでもかなりの時間を要することがだんだん明らかになってきた。
 結局、昨日から2枚のDVDを視聴し終えたのは、夕方だった。その後は、児童書の執筆の続きをやったが、疲れていて集中できなかった。やれやれ。
 禁止されていたので、2日間入浴していなかった。目に水がかかる洗髪や洗顔は、感染症の恐れがあるので、禁止なのである。それでも、がまんできず、今日、入浴はした。顔に水がかからないように最大の注意を払った。それでも、スッキリした。地震被害のため避難所で生活している人たちが、風呂に入りたい、せめてシャワーだけでも、と訴える気持ちがよくわかった。日本人の生活スタイルからすれば、入浴は寝食と同等に重要なのだ。

1月29日(月)「明日の準備はバッチリだけど・・・の風さん」
 手術した右目は少しずつ遠くが見えるようになってきた。もしかすると、左目と同等の視力なり、日常生活は全く問題なくなるかもしれない。日常生活とは、書斎での執筆(PC作業)とシニアグラスなしで読書できることだ。これが最大の狙いで、クルマの運転や外出時の行動ではメガネを覚悟している。
 ただ、両目ともよく見えるようになるにしたがい、飛蚊がはっきり見えるようになってきたことは予想外だった。うっとうしいが、慣れるしかないのかもしれない。
 明日のっ講演スライドの事前チェックをし、服装や持ち物の準備を先に終えておいた。初めての内容が含まれているので、とても楽しみであり、モチベーションは高い。
 ルーチンを終え、昼食のインスタントラーメンも食べたあと、ワイフの運転で、アクアで出かけた。灯油の補充が必要だった。天気が好いこともあり、助手席に乗っていて、何となく運転もできそうな気がしてきた。明日は病院から講演する会社まで移動するのだが、昼食を摂っている時間的な余裕がなさそうだったので、コンビニでパンとコーヒーを買っておいた。
 帰宅し、屋外タンクに灯油を補充し、ホッとした。
 昨日に続いて、新しいDVDプレイヤーで英語の発音練習をしたが、時間がかかって、3枚目を終了させることができなかった。
 明日の早起きのために、晩御飯後、さっさと入浴して、就寝モードに突入したので、今日もあまり仕事はできなかった。本当に仕事の能力というか、何をやってもノロマだと思う。

1月30日(火)「体力にてごたえ・・・の風さん」
 駅まで歩いて、7時45分発の電車に乗った。いつものようにポケットには充電式カイロ、耳にはワイヤレスイヤホンで英語の勉強だ。
 途中で、人身事故の車内アナウンスが入ったが、目的地のだいぶ先での出来事だったので、関係ないと思っていたら、乗っている電車は回送になり、途中駅で全員おろされた。目的地へ早く着ける乗り換え電車が分からず、それに乗りそこね、後から来た次の電車に乗ったが、満員になった。かつての東京の通勤電車状態である。
 それでも、病院へは予定の10分遅れで着くことができた。
 検査、診察、会計と順調に進んだ。検査結果もまあまあだったので、気持ちも軽かった。しかし、来週も再来週も病院には来なければならない。それまで、点眼薬もたくさん継続である。
 地下鉄のホームのベンチで、早めの昼食を、昨日買っておいたパンとコーヒーですませた。順調順調。
 12時に担当者と合流し、タクシーで講演する会社へ向かった。
 講演準備をしている時に、恐ろしいことが起きた。MacBookAirを立ち上げるためのパスワードを間違えたら、「ロックしたから1分後に入力しろ」というメッセージが出た。こんなことは初めてである。1分待たずに、すぐ正しいパスワードを入力したのだが、今度は5分待てというメッセージだ。え? なんで? と思っていたら、担当者が、とんでもないことを教えてくれた。アメリカでiPhoneのパスワードを子どもがでたらめに入力を繰り返しているうちに、この待ち時間が数十年レベルになったのだという。担当者から「しっかり5分待ってから、正しいパスワードを入力してください」と言われ、そのとおりにしたら、何とかMacBookAirが起動した。
 講演をするのに、目の調子はまったく問題なかった。しかし、いつものように力が入り過ぎて、時間オーバーしてしまい、話し方にも余裕がなくなった。
 やはりもっと少なめのスライドで、余裕をもって話すべきだと思ったが、後悔するよりも、来月の講演にしっかり反映させねばと強く思った。
 久しぶりに1日フルタイムで動き回ったので、疲れた。でも、自信のなかった体力が、けっこうやれたことで、少し自信を回復した。
 就寝前にテレビを観たが、リビングの自分の席からしっかり見えたので、これも自信になった。

1月31日(水)「絶好調のはずが・・・の風さん」
 階下に行ってすぐの朝のルーチンの中に、サンルームから庭を眺めるというのがある。先月、人生で初めて剪定を経験した梅が、咲き始めた! 元々花芽がたくさんついていたし、それらを意識的に残したので、予想できたことだが、実際に開花を確認できると嬉しい。10近い数の開花を確認できた。にぎやかな満開を楽しめるのは間違いない。 
 郵便物が多かったので、ちょっと無理して書類を書き込んで、3通の封書を作った。3通もあれば、3日に分けて、毎朝徒歩で投函に行き、往復千歩の運動になるのだが、超多忙な2月を予想して、まとめて出しておくことにした。風もなく、清々しい散歩になった。3通の投函完了。
 昼一番に初めての業者とオンライン打ち合わせをすることになっていたので、その準備をした。先方は私にセミナー講師を依頼してくるのだが、漫然と受け入れるのではなく、疑問点を整理しておいて、打ち合わせの中で、それらが解決したならば、逆にこちらからモデルの提案をしようと思ったのだ。
 オンライン打ち合わせは高密度に終了した。直後、こちらからの提案を含めた資料をPDFにして、データ便で送った。これでよし。
 朝、3通の郵便物を出して、先回りの仕事ができたと喜んでいたら、メルカリ出品が売れていて、ネコポスで発送する必要が生じた。梱包は慣れたものだが、コンビニまで行かねばならない。昨日から両目の見え方がほぼ同等になっていて、勢いが出てきたところだったので、いちおうドライバーズグラスをかけて、キャメロンで発送に行ってきた。もう少しよく見えるドライバーズグラスにすれば、さらに安心して運転できるという手応えもつかんだ。
 午後のコーヒータイムで、調子に乗ってツムツムを夢中でやっていたら、右目がかすんできて見えにくくなってしまった。やばい!
 2日前の状態になったということは、PC作業もやりにくいということだ。
 止むを得ず、DVDプレイヤーで発音の勉強をするだけで、今日は閉店となった。後半の失速がひどかった。人生、すぐ目の前は真っ暗だ(おおげさな)。明日は復活しなければ・・・。


2024年2月はここ

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